戦国時代や明治維新に生きていたら、さぞかし面白かっただろうと言われる。大きな時代のうねりとか、“一国一城の”という世界。ただそれは後の時代にそう思うだけで、その時は生きるのに精一杯だった、というのがその時の普通の感覚なのかも。決して皆がワクワクしながらチャンスを狙っていた訳ではなさそう。今、コロナが2年目に入り、終息が見えず、皆必死だ。そして同時に多くの人の見えないところで大きな変化がゆっくりと、同時に急激に進んでいる。色々な事がこの一年で数年、数十年分進んだと言える。こうえい会でも既に全ての会議はオンラインで行っている。職員同士の関係性が希薄になったかと言われれば、そこまでの感覚ではない気がする。アフターコロナでも十分に利用可能な価値だ。私達の知らない企業が創業以来の最高の売上を出している。「思わぬ分野がデパートを抜いた」等がそれ。戸惑い・焦燥感・おいてけぼりの側にいるか、潮流の変わった場所へ移動し追い風を受ける側にいるかは私達の観察力・決断にかかっている。データを分析してパターンを割り出し、その原因、根拠がシミュレーションとスタートアップの中で、様々な理論によりいくつもの展開を生んでいく様子を経験するのは楽しいもの。そして予想と現実の事象の発生が見事に重なる事は、馬車から車へ、映画からテレビへ、街の本屋さんからAmazonへ等の変化として、「あの会社うまい事やったな。」と言う感想で私達も傍観者として体験している。介護の世界も試行錯誤しながら最先端の機器、ツール、アプリ等を応用しながら取り入れる形で大きな変化がもう始まっている。コロナは変化への躊躇を受容・経験値・評価に変えた気がする。展示会の案内にはいくつもの介護ロボットが並んでいる(多分お高い)。今年度の介護保険制度改定にその発端がちりばめられているように感じる。将来は介護もクラウドを用いたAIや介護ロボット等が、利用者も介護者をも補助する対象として現場に登場し始めるだろう。最初は使えないもので、しかしあっという間に人間の能力を超えたシンギュラリティ(「人工知能(AI)」が人類の知能を超える転換点(技術的特異点)、又、それにより人間の生活に大きな変化が起こるという概念。)として。どうやら、コロナが変えているのはマスクだけではなさそうだ。
